.平成21年度 文化功労者
11月11日15時37分配信 産経新聞
■能楽観世流シテ方 片山九郎右衛門 生きている限りお能続けたい
先頃発表された平成21年度の文化功労者に、関西の伝統芸能界から、能楽観世流シテ方・片山九郎右衛門、文楽人形遣い・吉田簑助の2人が選ばれた。ともに人間国宝。ひたすら精進し、大きな芸の華を咲かせ、後進の育成にも努めてきた2人に話を聞いた。(亀岡典子)
「もともと病弱で、そんなに素質のある人間ではありません。ただただ一生懸命コツコツ続けてきたおかげ、そして長生きできたおかげです」。少し顔をほころばせながら謙虚に喜びを語った。
京都の観世流シテ方の重鎮。品格のある舞台。その中になんともいえない味わいがある。「姨捨」「檜垣」「関寺小町」…“三老女”といわれる重い曲もすべて勤めてきた。「若いころはがむしゃらにやってきたが、いまの年齢になってわかることがある。『姨捨(おばすて)』はもう一度やりたい。お月さんと戯れるところが無心にできれば」
父は同じく観世流シテ方の片山博通、母は京舞井上流の四世家元だった井上愛子。長女は五世家元の井上八千代、長男は後継者の片山清司。片山家は能と京舞が同居する日本でただ一軒の家であり、自宅の稽古(けいこ)場でいまも毎日1時間の稽古を欠かさない。
昨年、腰を痛め、手術をした。その際、医師から「現役でやり続けるのか」と聞かれた。続けるなら手術が必要だと。「生きてる限り、お能は続けたいと思っていましたので、やりますと即答しました」
能楽協会の前会長として、15年間能楽界を引っぱってきた。その間、能がユネスコの世界無形遺産に登録される慶事もあった。いまも演能のときは母の形見の「愛子」と刺繍(ししゅう)されたハンカチを懐にしのばせる。来年1月から家元から許された雪号「片山幽雪」を名乗って舞台に立つ。
「6歳のときに人形遣いの道を選んでよかったと、しみじみ感じております」
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■文楽人形遣い 吉田簑助 「花がある」人形遣いでいたい
父も文楽人形遣いの吉田紋太郎。まさに文楽の申し子のような人生を歩んできた。若いときから頭角を現し、得意とする女方の艶(あで)やかさ、華やかさ、色香は比類がない。
そんな簑助が脳出血で倒れたのは平成10年11月、国立文楽劇場で公演中のことだった。
「リハビリに取り組んでいるとき、もう舞台に立てないのではないかという暗澹(あんたん)たる気持ちで、毎日毎日、同じ場所で同じことを繰り返しているようで、本当に辛かった」と振り返る。
しかし不屈の闘志で病を克服、文化功労者の報に「病を得てからのすべての思いが舞台に立つことで報われました」という。
これまでの人生でもっともうれしかったのは、昭和36年の自身の三代目簑助襲名。「簑助という名は若い名前ですが、この名前を大きくして、一生大事にしてゆこうと思いました」。その言葉通り、豊かな才能に加え、不断の努力で、「簑助」という名前を大きくし、毎公演、主役やヒロインを遣い続け、観客を文楽の世界に魅了する。今月も大阪の国立文楽劇場で上演中の「心中天網島」で持ち役ともいえる遊女、紀伊国屋小春を遣っている。
今後遣ってみたい役として、「良弁杉由来」の良弁上人、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相をあげた。
「死ぬまで、『あの人の舞台は花がある』と言われ続ける人形遣いでいたい」