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ゆかりの地めぐり の記事一覧
名古屋めし 
2008.06.15.Sun / 00:00 



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名古屋めし by まこ71さん

カンタンCM作成サイト コマーシャライザー



 調子にのって、「名古屋めし」もつくってみた。
 来年も相生座文楽、やってほしいな
 味噌煮込みうどん、食べたい♪
 なにより、しゃちぼんの写真がほしい。
狐忠信の碑 2 
2008.06.14.Sat / 12:16 



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吉野山〜狐を訪ねて by まこ71さん

カンタンCM作成サイト コマーシャライザー



 コマーシャライザーをつかって、以前の「狐忠信の碑」を訪れたときの写真をつくりなおしてみた。
 楽しいね♪
 音もでます。音量バーをスライドしてください。
花矢倉 〜狐を訪ねて 
2008.05.17.Sat / 06:36 
 旅の目的地のひとつ、「花矢倉」

 義経は吉野にもいられなくなった。佐藤忠信はしんがりを引き受けて、自ら義経の鎧をまとい、「我は義経なり」と追いすがる敵を引きつけ、獅子尾坂の頂上花矢倉の木立ちに身をよせ、攻め登る山僧めがけて矢を放ち、吉野一の僧 横川覚範ほか多くの僧徒を射倒しなぎ倒して、義経一行を逃がした。というお話が残る地。



 ここが吉野の絶景地。
 以前、吉野山を訪れたときは、中千本までしかいかず、吉野山ってほんとに桜の名所なの?と思っていた。中千本を見下ろすことができるところまでいかないと、「吉野の桜」をみることはできませんね。残念ながら、このあたり(上千本)の桜も、前日の雨と風で随分散ってしまったようですが、山桜の葉が赤味を帯びているので、山は華やかでした。
 なにより、この絶景地で、佐藤忠信が義経の身代わりとなって戦ったと思うと、桜の色が一層心に染みます。戦いの血潮が桜色にそめたのかもしれません。

 義経千本桜の河連法眼館の段は、通称「四の切」、四段目の切場。四の切で狐が鼓をもってさっていくのがうれしくて満足してしまうけれど、この続きのお話がある。歌舞伎の猿之助さんの四の切だと、最後に妖しげな僧兵たちと狐の立ち回りがありますね。きっとあれは、横川覚範の兵のもの。
 
 義経を吉野山で追い詰める横川覚範は、実は、知盛とともに壇之浦に散ったはずの、平家の武将 能登守教経(のとのかみのりつね)だったという伏線がはってあり、ここ花矢倉で最終決戦を迎える。戦うのは佐藤忠信。なぜ、義経戦わない?と思っちゃいけないんですねー。
 忠信の兄、継信は、屋島の戦いで義経に放たれた矢を身代わりに受けて戦士した忠臣。そして、矢を放ったのが、能登守教経。

 四の切の前、道行初音旅の後半の戦物語、「♪平家の方には名高き強弓(つよゆみ)、能登の守教経と名乗りもあへずよつ引いて、放つ矢先は恨めしや、兄継信が胸板にたまりもあへず真っ逆様」のところですね。文楽では、矢に見立てた扇を静が放ち、狐忠信が胸でうけて倒れこむところをみせてくれるあの名場面です。

 なお、今年の7月歌舞伎座の海老蔵さんと玉三郎さんの吉野山(歌舞伎だと道行初音旅といわず吉野山になります)では、文楽に近い踊りになるのではと期待しております。以前、博多座のときが確かそうだった。その代わりに、歌舞伎の吉野山で有名な「男雛女雛」の場面がないはず・・・。
 
 そして、最終決戦の地、花矢倉で戦う、忠信と教経。忠信は苦戦するそうですが、これを助けるのが源九郎狐!五段目の床本を手に入れていないので、どんな戦いぶりだったのかまだ読んでいませんが、狐はここで義経への恩に報いるのです。

 義経千本桜の角書(※)は「大物船矢倉 吉野花矢倉」。
 ※浄瑠璃の名題、歌舞伎の外題の上に、その主題や内容を示す文字を2行または数行に割って書いたもの
 
 大物浦は知盛で有名だけど、花矢倉ってなに?と思っていたので、謎がときあかされたとき、「義経千本桜、すっごーい!」と叫びそうでした。さすがは三大名作。
 義経の身代わりとなった継信・忠信兄弟、忠信になりかわった狐、義経の鎧(伏見稲荷の段(歌舞伎では鳥居前)で、忠信になりかわって静を救ったとき、いざとなったら鎧を身につけ身代わりとして戦って後代に名を留めよといって授けられる)、初音の鼓、あまりに多くの伏線がはられていて、そう簡単には理解しきれないけれど、いったんわかりはじめると、その伏線にからめとられるのがたまらなく楽しい。

 最後の謎は、「源九郎狐」。
 義経の名前は「源九郎義経(みなもとのくろうよしつね)」
 狐は、鼓のほかに、源九郎という名を義経からもらっていますが、「義経」の「義」の文字を「よし」と読まず、「ぎ」と読めば、「ぎつね」と読めるんですね。ステキ。

 床本ではこうしめくくられています。

 「♪源九郎義経の義といふ字を訓(よみ)と音(こえ)、源九郎狐付き添ひし大和言葉の物語、その名は高く聞こへける」 
狐忠信の碑@吉野山 
2008.05.14.Wed / 20:49 
 勘十郎さんの作品展で狐にあえたので、4月にいった狐忠信の碑@吉野山の写真をアップしてみる。
 世界遺産の金峯山寺蔵王堂を正面にみて左にある階段(約400段)を、ずずっーーと降りていくと、脳天天神にいきつく。狐忠信の碑は、脳天天神への参道の途中に芸能の神として、昭和38年に建立されたそう。



 山の中にひっそりと建ってました。
 まわりの岩から清水が滴り、とても清冽なところ。
 ものずきだと思いながら、どうしても狐にあいたかった。
 翌日は足が筋肉痛(涙)

 狐、桜のはなびらを散らしながら、飛んでるかな?
 
お半長右衛門を訪ねて 〜供養塔〜 
2008.04.08.Tue / 23:30 
 いろいろと落ち着いてきたので、ゆかりの地めぐりをUP。
 今月、国立文楽劇場でかかっている「桂川連理柵」のお半長右衛門を訪ねてシリーズ。
 2月の玉三郎さんの昆劇公演前に、京都市内をまわりました。

 二人の供養塔があると知ったものの、文楽を歩くシリーズでも、供養塔を見つけられなかったとあり、いつもはいきあたりばったりなのに、珍しくいく前にネットでいろいろ調べた。わかったのは、「京都市右京区西京極衣手町 桂川堤防下」。この住所と、ネットにのっていた供養塔の写真を頼りに、衣手神社あたりから、桂川にむかうあたりではないかとめぼしをつけ、最寄のバス停「西京極午塚町」でおりる。
 衣手神社を右にみて、さて、どこだろう、向こうにみえるが桂川だからーと、遠くをみていたら、突然、目の前に看板が

  IMG_0594.jpg 「お半 長右衛門 供養塔」
 
 桂川沿いを歩きまくるかと思っていたら、あまりにあっさりみつかってびっくりしたよ、もー。あやうく通り過ぎるところでした。

 IMG_0592.jpg IMG_0593.jpg
 お花はいろんな造花を寄せ集めてあるものだけど、こうして写真をみると、華やかでよろしいこと。
 2人の供養塔の1基は「法華塔」、いま1基は「法花塔」と刻まれており、大水害犠牲者の供養塔とか、桂川の堤防を守る水防の碑とか言われているそうです。

 この先に、二人が心中した桂川
 桂川1
 ゆったりとした流れでした。二人はあの世で幸せになれたんでしょうか。

 帯屋につづく

 地図はこちら ↓

 
 
三輪の茶屋跡 訪問記 
2008.03.04.Tue / 00:51 
 話は昨年2月にさかのぼる。
 おおさか元気文楽の翌日、奈良県大神神社を訪れた。そこは、妹背山婦女庭訓四段目(お三輪の話)の舞台。なんの準備もせず、いきあたりばったりででかけた。200702大和・三輪散策記
 その旅の最後に、三輪そうめん処「森正」さんでにゅうめんをいただいて、のんびり、そこにおいてあった本を読んでいて、梅川忠兵衛が大阪から逃走した後、三輪の地で何日か過ごし、忠兵衛の実家のある新口村に向かったことを知った。

 有名な梅川忠兵衛の浄瑠璃のフレーズ
 ♪大坂を立ち退いても、わたしが姿目に立てば、借駕籠に日を送り、奈良の旅籠屋三輪の茶屋、五日三日夜を明かし、二十日あまりに四十両使ひ果して二歩残る。

 先月(2007年1月)、冥土の飛脚みたばっかり(それも2日間で、藤十郎さんの封印切、文楽の冥土の飛脚(玉女・勘十郎ダブルキャスト)をみたばっかり)なのに、全然気がつかなかった・・・聴けてないなぁとがっくり。
 さらに、この森正さんは見事な門構えなのだが、その本に、この門がその三輪の茶屋と関係があり、また、二人が過ごした三輪の茶屋跡が、大神神社の一の鳥居あたりにあるという記載があったような記憶があったものの、東京に戻って調べてみてもみつからず。まあいいやとほおっておいた。
   :
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 時は過ぎ、昨年10月歌舞伎座で、「恋飛脚大和往来 封印切・新口村」(歌舞伎ではこのタイトル)がかかった。これをみていてはたと気がついた。 前述の浄瑠璃のフレーズをはじめて聞いた(と思う)。あれー、文楽の「冥土の飛脚」にはなかったけ?と思い調べたら、あのフレーズは”新口村の段”(文楽だと「傾城恋飛脚 新口村の段」)にはあるが、文楽の冥土の飛脚につく”道行相合かご”にはないフレーズだったのだ。(実は、新口村は、染五郎さんの忠兵衛、孝太郎さんの梅川、仁左衛門さんの孫右衛門をみているが、爆睡したので記憶がほとんどない。起きたら、まわりが仁左衛門さんの孫右衛門に泣いていて、かなり恥ずかしかった。)
 なんだー、知らなくて当然じゃん(反省の色なし、忠兵衛なみ)と思い、いつか三輪の地にいって、このことを確かめたいと思っていた。
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 と思ったのもまたすぐ忘れていたが、今年1月の大阪の文楽公演で、「傾城恋飛脚 新口村の段」がかかり、俄然いく気になった。よし、2月は遠征中に空き時間もあるしそのときに!と思ったものの、2月になって大阪にいってみれば、あまりに寒く、気力はなえ、このままのんびりしていようかと思ったが、法善寺での梅川@簔助さんの豆まきで、新口村のあのフレーズにのっての梅川のくどきをみて、これはいくしかないっと、気力をふりしぼって、翌日三輪に向かった。

 難波から近鉄にのり桜井へ。乗り換えて三輪(桜井から一駅)にいき、大神神社に再度いって、にゅうめん食べて(これが目的の大半)、そこから旅を再開と思っていたのに、なぜか、前日の梅川のくどきに俄然やる気になってしまい、桜井駅から山の辺の道を歩いて大神神社にむかう。
 前日、奈良は雪(東京も大雪でした)。あちこちに雪がのこり、雰囲気抜群、寒さも抜群(泣)。
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 寒さと爪先ジンジンの山の辺の道散策記はいずれの日にか・・・。

 大神神社に無事着いておまいり。今回はしっかり、杉の大玉を確認。
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 寒さでハイになってしまったので、なぜか「ようこその、お参りでしたっー」と嶋大夫さん風に語りながら参道をゆく。
 
 心をしめるは、あったかい「にゅうめん」。そして、「森正」さんへ着く。
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 これがやっぱり三輪の茶屋の門?移築したのかな?

 ん?ん?無常の定休日のお知らせ・・・
IMG_0162.jpg 
 「ようこそのお参りでしたっー」
 「知らなんだ、知らなんだ、知らなんだわいなぁー」 嶋大夫風に

 結局、門前の近くのお店で、お座敷あがって、天ぷらそばをゆっくりのんびりいただく。爪先ジンジンがとれて、生きた心地、ほっ。でも、この店、確か、にゅうめんが750円、天ぷらそばが650円。おかしくない?

 ここまできたらいくしかないと、一の鳥居の近くしか情報がないまま、「三輪の茶屋跡」に向かう。

 一の鳥居にたどりつく。
IMG_0165.jpg

 あたりきょろきょろ。手がかりなし。あきらめてバスで駅に戻ろうと、近くのバス停にいくと、そのすぐそばに案内板が。天の助けだ(おおげさ、でも爪先はそう叫んでいた)
IMG_0180.jpg

 案内版のとおりに進む。200メートルくらい歩くと次の案内板が。
IMG_0167.jpg IMG_0168.jpg
                        案内板が示すのは民家のお庭の先

 これが三輪の茶屋跡に建てられた梅川忠兵衛の碑。お庭の椿が綺麗だった。
IMG_0169.jpgIMG_0174.jpg
 2人が立ち寄ったとされる三輪の茶屋は竹田屋という屋号の大名も泊まる本陣でとても大きな宿だったそう。昭和50年頃までは当時の建物が残っていたそうですが、今は取り壊され、竹田屋さんの子孫のお宅の敷地内に、前栽の石を使って「梅川忠兵衛の碑」が建てられ、一般にも公開されています。 関連サイト 桜井市観光情報

 足かけ1年。やっと三輪の茶屋跡にたどり着きました。
 地図などは、別館「真ん中な日々 道行ゆかりの旅、梅川忠兵衛ゆかりの地」
 
中将姫を訪ねて 
2008.02.23.Sat / 23:55 
 昨年3月の玉三郎さん演出・主演の「初瀬/豊寿丸 蓮絲恋慕曼荼羅」をみて、當麻曼荼羅を織った中将姫に会いたくなり、中将姫伝説の地:當麻寺に、昨年5月14日にいきました。今月の文楽公演での中将姫に再びあえたので、いまさらながらですがアップ。この日は、中将姫が極楽浄土に向かう様子を再現する「當麻寺練供養会式」(お練り)が行われる日でした。

 近鉄「当麻寺」におりると、すぐに名物のよもぎ餅「中将餅」、参道をいくと、おなじくよもぎ餅「ひめもち」。やわらかくておいしかった。出店、植木屋さん、特産物をたくさん並べたお店、お祭りといえど、のどかな町の風景。のんびり歩きながら15分ほどで當麻寺へ着く。
 IMG_3181.jpg
 當麻寺には、国宝指定の本堂(曼荼羅堂)・東塔・西塔、重要文化財指定の金堂・講堂はじめ、法華堂・薬師堂・護摩堂・仁王門・鐘楼などが、独自の伽藍配置で立ち並び、塔頭も奥院・中之坊をはじめ11を数える大きなお寺。

 まずは、中将姫に会いに。
 
 池のほとりにで境内の喧騒をよそに静かに祈ってらっしゃいました。

 中将姫は、人皇四十五代聖武天皇の御代、横佩大納言・藤原豊成が観音菩薩に授かった娘といわれている。幼少より才色秀で、中将の位を授かり、四歳の時に白狐から与えられたといわれる『称讃浄土経』を日夜読誦するようになっていた。また、五歳の時に実母と死に別れ、六歳から迎えた継母の辛い仕打ちに苦しむ物語も広く伝えられている。しかし姫はあえて恨むことなく、万民の安らぎを願い続け、『称讃浄土経』を書き写す写経に専念した。そして、千巻の写経を成し遂げた十六歳のある日、西方の二上山に夕日が沈み、その夕日の中に仏の姿をご覧になった。そして夕空一面に極楽浄土の姿を観じられて、その楽土に遊ぶ境地に達しられたのであった。姫は都を離れ二上山の麓を訪れ、当麻寺に入門を願い出た。当時女人禁制であった当麻寺への入山はなかなか許されなかったが、姫は観音菩薩の加護を信じ、一心に読経を続けたところ、不思議にもその功徳によって岩に足跡が付いた(中将姫誓いの石)。姫の尊い誓願が認められ、翌年、入山が許された姫は、中之坊にて髪を剃り落とし、法如という名を授かって正式に尼僧となった。天平宝字七年(七六三)六月十五日のことであった。翌十六日には、毛髪を糸として阿弥陀・観音・勢至の梵字を刺繍し、仏への感謝を表した。そして、あの夕空に見たほとけの姿、安らぎの境地を人々にも伝えたいと願われたのであった。すると、翌十七日の正午、一人の老尼が現れて「蓮の茎を集めよ」と告げた。法如は言葉に従い、父の助けを借りて、大和・河内・近江の三国から蓮の茎を集めた。さらに老尼にしたがって、茎より糸を取り出し、それを井戸で五色に染め上げた。二十二日の黄昏時、今度は若い娘がやってきて、法如をつれて千手堂に入り、五色の糸を用いて織物を始めたのだった。こうして機織りは二十二日の宵から始まり、二十三日の明け方には、一丈五尺もの大曼荼羅が織り上がっていた。これが国宝・綴織当麻曼荼羅である。老尼はこの曼荼羅を前にして詳細に絵解きすると、若い織姫とともに忽然と姿を消した。この老尼こそ阿弥陀如来、織姫は観音菩薩の化身であったという。
当麻曼荼羅のまばゆい光に心を救われた法如は、人々に曼荼羅の教えを説き続けた。ひとりひとりが静かに御仏を想えば、仏の救いを得て皆の心が清らかになり、この世がそのまま浄土となる。この現世浄土の教えを説き続けた法如は、二十九歳の三月十四日、仏菩薩のお迎えを得て、現し身のままで極楽往生されたのであった。  -當麻寺の歴史と文化−


 中将姫誓いの石は境内に。信じるものは救われる。
      IMG_3195.jpg 

 中将姫剃髪堂 本尊十一面観音は中将姫の守り観音「導き観音」
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 中将姫が下ろした髪で刺繍をしたという故事に因んで建立された髪塚も境内に。
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 購入した當麻曼荼羅(カラー版)。1000円なり。 
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  當麻曼荼羅 當麻寺中之坊HP
 曼荼羅堂に実寸のものがあるのですが、これが大きいこと。一丈五尺、4,5メートル四方の大きなものです。これが一夜で織り上がった奇跡。信じることができるようになった、いや信じたいと思うのは中将姫を知ってから。中将姫あってこその曼荼羅であり、浄土への強いあこがれが「中将姫」をうんだのでしょう。今月の文雀さんの中将姫にはその気高さがありました。もちろん玉三郎さんの初瀬にも。

 毎年5月14日に行われる「お練り」は、大衆を浄土信仰に導くためにはじめられ、本堂の曼荼羅堂を西方極楽浄土、仁王門近くにある娑婆堂を人間世界とし、その間に長い掛け橋をかけ、この橋を通って、中将姫が二十五菩薩たちに迎えられて、西方浄土に向かうさまをあらわすもの。いうなれば、動く曼荼羅。昔の人は、いろんな方法で、仏の教えをひろめたのですね。
 はじめ、なんで4時なんて中途半端は時間からはじめるんだろうと思っていたら、約1時間のお練りが終わる頃に、曼荼羅堂の後ろの山々に日が落ちて、さながら西方浄土になるのです。そして、中将姫はいつまでも民衆の心の中で気高く存在していくのでしょう。
 
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中将姫は輿にのって  お稚児さんたちがかわいい

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        天人                   二十五菩薩

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   観音菩薩 行きは蓮台だけ、帰りに蓮台の中将姫の化仏が

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       普賢菩薩                  菩薩の行列

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   西方浄土が夕焼けに照らされる

 ↓お練りの動画です。観音菩薩と勢至観音の流麗な動きをお楽しみください。

 

 中将姫ゆかりの地は他に
◎石光寺 
  寺は別名「染寺(そめでら)」とも呼ばれ、当麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの「染の井」と「糸掛桜」がある。これは、中将姫が曼荼羅を織るために蓮の茎を集めて糸を採り、それを水に浸したところ五色に染まった、という伝説の場所で、庭にある井戸を「染の井」、傍らの桜の枝を「糸掛け桜」という。
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