近鉄「当麻寺」におりると、すぐに名物のよもぎ餅「中将餅」、参道をいくと、おなじくよもぎ餅「ひめもち」。やわらかくておいしかった。出店、植木屋さん、特産物をたくさん並べたお店、お祭りといえど、のどかな町の風景。のんびり歩きながら15分ほどで當麻寺へ着く。

當麻寺には、国宝指定の本堂(曼荼羅堂)・東塔・西塔、重要文化財指定の金堂・講堂はじめ、法華堂・薬師堂・護摩堂・仁王門・鐘楼などが、独自の伽藍配置で立ち並び、塔頭も奥院・中之坊をはじめ11を数える大きなお寺。
まずは、中将姫に会いに。

池のほとりにで境内の喧騒をよそに静かに祈ってらっしゃいました。
中将姫は、人皇四十五代聖武天皇の御代、横佩大納言・藤原豊成が観音菩薩に授かった娘といわれている。幼少より才色秀で、中将の位を授かり、四歳の時に白狐から与えられたといわれる『称讃浄土経』を日夜読誦するようになっていた。また、五歳の時に実母と死に別れ、六歳から迎えた継母の辛い仕打ちに苦しむ物語も広く伝えられている。しかし姫はあえて恨むことなく、万民の安らぎを願い続け、『称讃浄土経』を書き写す写経に専念した。そして、千巻の写経を成し遂げた十六歳のある日、西方の二上山に夕日が沈み、その夕日の中に仏の姿をご覧になった。そして夕空一面に極楽浄土の姿を観じられて、その楽土に遊ぶ境地に達しられたのであった。姫は都を離れ二上山の麓を訪れ、当麻寺に入門を願い出た。当時女人禁制であった当麻寺への入山はなかなか許されなかったが、姫は観音菩薩の加護を信じ、一心に読経を続けたところ、不思議にもその功徳によって岩に足跡が付いた(中将姫誓いの石)。姫の尊い誓願が認められ、翌年、入山が許された姫は、中之坊にて髪を剃り落とし、法如という名を授かって正式に尼僧となった。天平宝字七年(七六三)六月十五日のことであった。翌十六日には、毛髪を糸として阿弥陀・観音・勢至の梵字を刺繍し、仏への感謝を表した。そして、あの夕空に見たほとけの姿、安らぎの境地を人々にも伝えたいと願われたのであった。すると、翌十七日の正午、一人の老尼が現れて「蓮の茎を集めよ」と告げた。法如は言葉に従い、父の助けを借りて、大和・河内・近江の三国から蓮の茎を集めた。さらに老尼にしたがって、茎より糸を取り出し、それを井戸で五色に染め上げた。二十二日の黄昏時、今度は若い娘がやってきて、法如をつれて千手堂に入り、五色の糸を用いて織物を始めたのだった。こうして機織りは二十二日の宵から始まり、二十三日の明け方には、一丈五尺もの大曼荼羅が織り上がっていた。これが国宝・綴織当麻曼荼羅である。老尼はこの曼荼羅を前にして詳細に絵解きすると、若い織姫とともに忽然と姿を消した。この老尼こそ阿弥陀如来、織姫は観音菩薩の化身であったという。
当麻曼荼羅のまばゆい光に心を救われた法如は、人々に曼荼羅の教えを説き続けた。ひとりひとりが静かに御仏を想えば、仏の救いを得て皆の心が清らかになり、この世がそのまま浄土となる。この現世浄土の教えを説き続けた法如は、二十九歳の三月十四日、仏菩薩のお迎えを得て、現し身のままで極楽往生されたのであった。 -當麻寺の歴史と文化−
中将姫誓いの石は境内に。信じるものは救われる。
中将姫剃髪堂 本尊十一面観音は中将姫の守り観音「導き観音」

中将姫が下ろした髪で刺繍をしたという故事に因んで建立された髪塚も境内に。

購入した當麻曼荼羅(カラー版)。1000円なり。

當麻曼荼羅 當麻寺中之坊HP
曼荼羅堂に実寸のものがあるのですが、これが大きいこと。一丈五尺、4,5メートル四方の大きなものです。これが一夜で織り上がった奇跡。信じることができるようになった、いや信じたいと思うのは中将姫を知ってから。中将姫あってこその曼荼羅であり、浄土への強いあこがれが「中将姫」をうんだのでしょう。今月の文雀さんの中将姫にはその気高さがありました。もちろん玉三郎さんの初瀬にも。
毎年5月14日に行われる「お練り」は、大衆を浄土信仰に導くためにはじめられ、本堂の曼荼羅堂を西方極楽浄土、仁王門近くにある娑婆堂を人間世界とし、その間に長い掛け橋をかけ、この橋を通って、中将姫が二十五菩薩たちに迎えられて、西方浄土に向かうさまをあらわすもの。いうなれば、動く曼荼羅。昔の人は、いろんな方法で、仏の教えをひろめたのですね。
はじめ、なんで4時なんて中途半端は時間からはじめるんだろうと思っていたら、約1時間のお練りが終わる頃に、曼荼羅堂の後ろの山々に日が落ちて、さながら西方浄土になるのです。そして、中将姫はいつまでも民衆の心の中で気高く存在していくのでしょう。

中将姫は輿にのって お稚児さんたちがかわいい

天人 二十五菩薩

観音菩薩 行きは蓮台だけ、帰りに蓮台の中将姫の化仏が

普賢菩薩 菩薩の行列

西方浄土が夕焼けに照らされる
↓お練りの動画です。観音菩薩と勢至観音の流麗な動きをお楽しみください。
中将姫ゆかりの地は他に
◎石光寺
寺は別名「染寺(そめでら)」とも呼ばれ、当麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの「染の井」と「糸掛桜」がある。これは、中将姫が曼荼羅を織るために蓮の茎を集めて糸を採り、それを水に浸したところ五色に染まった、という伝説の場所で、庭にある井戸を「染の井」、傍らの桜の枝を「糸掛け桜」という。


