義経は吉野にもいられなくなった。佐藤忠信はしんがりを引き受けて、自ら義経の鎧をまとい、「我は義経なり」と追いすがる敵を引きつけ、獅子尾坂の頂上花矢倉の木立ちに身をよせ、攻め登る山僧めがけて矢を放ち、吉野一の僧 横川覚範ほか多くの僧徒を射倒しなぎ倒して、義経一行を逃がした。というお話が残る地。
ここが吉野の絶景地。
以前、吉野山を訪れたときは、中千本までしかいかず、吉野山ってほんとに桜の名所なの?と思っていた。中千本を見下ろすことができるところまでいかないと、「吉野の桜」をみることはできませんね。残念ながら、このあたり(上千本)の桜も、前日の雨と風で随分散ってしまったようですが、山桜の葉が赤味を帯びているので、山は華やかでした。
なにより、この絶景地で、佐藤忠信が義経の身代わりとなって戦ったと思うと、桜の色が一層心に染みます。戦いの血潮が桜色にそめたのかもしれません。
義経千本桜の河連法眼館の段は、通称「四の切」、四段目の切場。四の切で狐が鼓をもってさっていくのがうれしくて満足してしまうけれど、この続きのお話がある。歌舞伎の猿之助さんの四の切だと、最後に妖しげな僧兵たちと狐の立ち回りがありますね。きっとあれは、横川覚範の兵のもの。
義経を吉野山で追い詰める横川覚範は、実は、知盛とともに壇之浦に散ったはずの、平家の武将 能登守教経(のとのかみのりつね)だったという伏線がはってあり、ここ花矢倉で最終決戦を迎える。戦うのは佐藤忠信。なぜ、義経戦わない?と思っちゃいけないんですねー。
忠信の兄、継信は、屋島の戦いで義経に放たれた矢を身代わりに受けて戦士した忠臣。そして、矢を放ったのが、能登守教経。
四の切の前、道行初音旅の後半の戦物語、「♪平家の方には名高き強弓(つよゆみ)、能登の守教経と名乗りもあへずよつ引いて、放つ矢先は恨めしや、兄継信が胸板にたまりもあへず真っ逆様」のところですね。文楽では、矢に見立てた扇を静が放ち、狐忠信が胸でうけて倒れこむところをみせてくれるあの名場面です。
なお、今年の7月歌舞伎座の海老蔵さんと玉三郎さんの吉野山(歌舞伎だと道行初音旅といわず吉野山になります)では、文楽に近い踊りになるのではと期待しております。以前、博多座のときが確かそうだった。その代わりに、歌舞伎の吉野山で有名な「男雛女雛」の場面がないはず・・・。
そして、最終決戦の地、花矢倉で戦う、忠信と教経。忠信は苦戦するそうですが、これを助けるのが源九郎狐!五段目の床本を手に入れていないので、どんな戦いぶりだったのかまだ読んでいませんが、狐はここで義経への恩に報いるのです。
義経千本桜の角書(※)は「大物船矢倉 吉野花矢倉」。
※浄瑠璃の名題、歌舞伎の外題の上に、その主題や内容を示す文字を2行または数行に割って書いたもの
大物浦は知盛で有名だけど、花矢倉ってなに?と思っていたので、謎がときあかされたとき、「義経千本桜、すっごーい!」と叫びそうでした。さすがは三大名作。
義経の身代わりとなった継信・忠信兄弟、忠信になりかわった狐、義経の鎧(伏見稲荷の段(歌舞伎では鳥居前)で、忠信になりかわって静を救ったとき、いざとなったら鎧を身につけ身代わりとして戦って後代に名を留めよといって授けられる)、初音の鼓、あまりに多くの伏線がはられていて、そう簡単には理解しきれないけれど、いったんわかりはじめると、その伏線にからめとられるのがたまらなく楽しい。
最後の謎は、「源九郎狐」。
義経の名前は「源九郎義経(みなもとのくろうよしつね)」
狐は、鼓のほかに、源九郎という名を義経からもらっていますが、「義経」の「義」の文字を「よし」と読まず、「ぎ」と読めば、「ぎつね」と読めるんですね。ステキ。
床本ではこうしめくくられています。
「♪源九郎義経の義といふ字を訓(よみ)と音(こえ)、源九郎狐付き添ひし大和言葉の物語、その名は高く聞こへける」

