一言でいうなら、副題は「近松門左衛門に捧ぐ」でしょうか。
昨年の南座顔見世のまねき上げにはじまって、10年前からまわしたという映像の数々。プロデューサーの方いわく、「まわして3、4年のうちに坂田藤十郎になるはずだったんですが・・・・」って、もうちょっと思い入れを聞かせてくださいよ・・・。
舞台・稽古の映像は
・右近の会の河庄のお稽古風景
・大阪松竹座開場の河庄・三番叟
・曽根崎心中
・けいせい壬生大念仏(近松座)
・封印切
・心中天網島(近松座20周年)
・夕霧名残の正月(京都南座襲名興行)
玉三郎さんめあてでいった(すみません)んですが、お稽古風景がかなり流れてました。あんなに長く(といっても10分くらい?)みたことなかったので、結構おもしろかった。
お稽古終了後の近松についての話もあったり、鴈治郎さんも「稽古を重ねて愛がましてきました」とのこと。
舞台映像もありました、玉三郎さんの小春。なかなか見られなさそうなのでちょっとだけでも見られてよかった。悲しみにくれる小春でした。
なにしろ、「藤十郎」という人がほとんどわからないためか、一緒に舞台をつくった近松門左衛門へのアプローチがメインでした。
曽根崎にしろ、心中天網島・封印切・河庄などは、最近文楽でよくみているので私にはかなり面白かったけど、なんかポイントが絞りきれていない”記録”映画という側面はぬぐいきれなかった。
ただ、藤十郎さんのお化粧風景はなかなかおもしろかった。白粉などの入れ物が大きいの。まじまじみると、ちょっとこわいものもありましたが、あのお顔はこうして作っていたのかと興味津々でした。
途中でもみあげが立派だな・・・、鬘かぶるときどうしているんだろうと疑問をもったのですが、もみあげの下からぐいっとテープをつかって、もみあげを消し、さらにお顔のリフトアップ、ほほぉ〜。
一番ステキだったのは、扇雀時代のお初の写真。覚悟をきめたお初がいいお顔でした。徳兵衛はお父さんの2代目鴈治郎さん。お初の足をいとおしく押しいただき、一緒に死ぬる思いにめざめた顔がこれまた素晴らしかった。
11日には大阪で上映会があるそうですよ。
お邪魔させて戴きます。
平成の藤十郎・・見に行く筈だったんですが勿論、小春を観たくて。でも野暮用があり・・
教えて下さって有難う!
近松座20周年の「天網島」文楽劇場と南座2回みました。千秋楽に鴈治郎として挨拶され涙いっぱいでした。私も泣きました。
実は、昭和28年8月新橋演舞場「曽根崎心中」初演を見て、初めて近松浄瑠璃の素晴らしさ、若き扇雀さんの体当たり演技に感激!
私を歌舞伎フアンへと導いてくれた、忘れられない舞台でした。
自分のブログに書こうと(歌舞伎)コーナーを作っているのですが、(玉さま)記事に追われて?その内、大好きな近松ものの話を書きますので、その節は、覗いてくださいね。
みよ吉さんへ
曽根崎の初演ですか〜すごいっ!!
いいお初の写真でしたよ。映画見にいって、写真がよかったというのもなんですが、お初の覚悟がとってもよかった。
ブログはじめられたのですね。
玉三郎さんの記録楽しみにしております。
もちろん近松作品も。
文楽にお詳しいので驚いてます。
曽根崎心中は、近松の(世話物処女作)で、当初元禄時代は好評だったそうですが、その後、歌舞伎では一度も上演されず、文楽以後250年振りに、鴈治郎・扇雀父子が初演です。空前の大ヒット。翌29年6月大阪でも演じ(これも観ました)扇雀ブーム・曽根崎心中ブームになり、その人気に便乗して、逆に
昭和30年1月・大阪文楽座で、吉田栄三・
吉田玉男さんのお初・徳兵衛で上演されて
ヒット、以来文楽のドル箱になったとか。
髪黒々の玉男さんの写真を見たことあります。
まこさんにお尋ねしたいこと一つ。
天満屋からぬけて曽根崎へ向かう場面で
お初がリードしますか?
実は、小春・治兵衛と同じく、男の方が先に行く筈が、初演の初日、初役の若い扇雀さんが感極まって、徳兵衛より先に花道へ・・
お父さんの鴈治郎さんびっくりしたそうですが「この方がええやないか、これでいこう」
父子で相談して今の型になったんだそうです
話は尽きないので、この位にしますね。
みよ吉さんへ
詳しくはないと思いますけど、好きなんで一生懸命みてます。
歌舞伎→文楽で復活したそうですが、あの足で死を覚悟する場面は、文楽のやり方を歌舞伎がとりいれたと聞いたことがあります。
最初からああでした?
あそこは・・・人形の足の方が生々しくなくて好きです。素足だと、男の足なんですもん(苦笑)。
いずれにしろ、互いにいいところは交流しあってつくりあげていったんでしょうね。
天神の森への場面ですが、実は・・・全く覚えてません。文楽は花道ないし・・・。3月にみるので、よ〜く確認してきます。


